スー・チー氏、24年ぶり出国 初外交活動開始、タイ訪問

Posted in Uncategorized on May 30, 2012 by luminarymagazine

2012.5.28 20:21
 【シンガポール=青木伸行】ミャンマーの最大野党・国民民主連盟(NLD)の党首、アウン・サン・スー・チー氏は29日、およそ24年ぶりに出国し、隣国のタイを訪問する。6月には欧州数カ国を歴訪し、「自由の身」となったスー・チー氏の外交活動が始まる。

 スー・チー氏は29日夜にバンコクに入り、30日から開かれる世界経済フォーラム東アジア会議に出席する。タイのインラック首相とも会談する予定。

 ミャンマーからの避難民が暮らす国境沿いのキャンプも、訪れる意向だ。NLD幹部によると「スー・チー氏は滞在中、長年困難な状況に置かれている避難民への支援継続も、国際社会に訴える」という。ミャンマーからタイに亡命したジャーナリストらも、訪問を歓迎している。

 スー・チー氏の外遊日程はめじろ押しだ。来月14日には、スイス・ジュネーブで開かれる国際労働機関(ILO)の総会で演説し、16日にはノルウェー・オスロで、ノーベル平和賞受賞の講演をする。1991年に受賞した際、スー・チー氏は自宅軟禁下にあり、夫と2人の子供が代わりにスピーチをした。

 20日には英国で、母校のオックスフォード大学から名誉博士号を授与され、翌日に議会で演説する。ノルウェーと英国訪問の合間に、アイルランド・ダブリンを訪れ、ロックバンドU2のボーカリストで、スー・チー氏を支援してきたボノ氏が参加しての特別コンサートも検討されている。

Sankei online

スー・チー氏 オスロでノーベル平和賞受賞講演へ

Posted in Uncategorized on May 22, 2012 by luminarymagazine

 ノルウェーのノーベル委員会は21日、ミャンマーの民主化運動指導者、アウン・サン・スー・チー氏が6月16日、オスロでノーベル平和賞受賞講演を行うことを明らかにした。フランス通信(AFP)などが報じた。スー・チー氏は1991年、ミャンマーでの民主化運動を評価され平和賞を受賞したが、自宅軟禁中だったため授賞式に参加できなかった。スー・チー氏が国外に出るのは88年以来、24年ぶり。(ロンドン支局)

Sankei online

「自由の国へようこそ」=陳氏の支持者ら空港で歓迎

Posted in Uncategorized on May 20, 2012 by luminarymagazine

 【ニューアーク(米ニュージャージー州)時事】「自由の国へようこそ。しばらくはゆっくり休んでほしい」-。中国の人権活動家・陳光誠氏が到着したニューヨーク市近郊のニュージャージー州の空港には数十人の支持者らが集まり、陳氏の米国入りを祝った。
 到着ロビーには「あなたはわれわれの誇り。ニューヨークの華人・華僑はあなたを歓迎する」と書かれた横断幕も。陳氏は結局、一般搭乗者の出口からは現れず、出迎えは果たせなかったが、米国人女性は「彼は著名な活動家。中国を脱出できたのは感動的だ」と興奮した様子で語った。

Jiji.com(2012/05/20-12:02)

ミャンマーに新規投資解禁 米、大使も22年ぶりに派遣

Posted in Uncategorized on May 20, 2012 by luminarymagazine

 オバマ米大統領は17日、約22年ぶりに派遣するミャンマー大使に、ミャンマー特別代表・政策調整官のデレク・ミッチェル氏を指名した。クリントン国務長官は同日、国務省でミャンマーのワナ・マウン・ルウィン外相と会談。経済・金融制裁を緩和し、米企業によるミャンマーへの新規投資を解禁すると発表した。

 ミャンマー民主化の動きを評価した制裁緩和措置の一環で、両国関係は正常化へ向け大きく前進した。米政府は投資解禁をてこに民主改革を後押しする考えだが、改革に抵抗する軍部が利権を奪うのではないかといった懸念も出ている。

 オバマ大統領は同日、民主化の行方を慎重に見極めるため、経済制裁の一部を1年間延長すると発表、完全な解除は先送りした。(共同)

 

米、ミャンマーへの経済・金融制裁停止 民主化の促進を評価

Posted in Uncategorized on May 20, 2012 by luminarymagazine

 【ワシントン=犬塚陽介】クリントン米国務長官は17日、ミャンマー政府が実施する民主化の促進を評価し、米企業によるミャンマーへの金融サービス提供や投資を禁じてきた経済・金融制裁を「停止する」と発表した。オバマ大統領は1990年から空席だった駐ミャンマー大使に米国のミャンマー特別代表・政策調整官を務めるデレク・ミッチェル氏を指名し、両国関係の「新たな一章の始まりだ」と述べた。

 ただ、オバマ大統領は同日、ミャンマーの民主化は「初期の段階」であり、行方を見極める必要があるとして、経済制裁を1年間延長する決定を議会に通知、制裁の枠組みは維持した。

 制裁の停止対象は主に新規投資や金融サービス。天然資源への投資のほか、米企業の進出で、ミャンマー国民が将来的にクレジットカードを使用したり、ドル建ての取引を行うことが可能になる。

 一方で、武器の禁輸は維持されるほか、AP通信はミャンマー軍の関連企業との取引も引き続き禁止されると伝えている。

 クリントン長官はミャンマーのワナ・マウン・ルウィン外相との会談後に共同記者会見し、制裁の関連法は「保険証書として維持する」と述べたが、「商取引と投資機会をできる限り迅速に拡大する」として、米企業にミャンマーへの投資を促した。

 また、クリントン長官はミャンマーのテイン・セイン大統領が、北朝鮮との軍事関係を終わらせると言及したことを歓迎した。

 米政府は4月1日に実施されたミャンマー連邦議会補選などを評価し、段階的な制裁の緩和を検討していた。

Sankei online

スー・チー氏とガンジー

Posted in Uncategorized on May 13, 2012 by luminarymagazine

波乱の半生描いた映画

 

 「ザ・レディー」

 ミャンマー民主化運動指導者、アウン・サン・スー・チー氏のことをかつて人々は暗号のようにこう呼んだ。軍事政権下の街に潜む秘密警察の耳目を恐れ、実名を口に出すことは、はばかられたからだ。

 フランスのリュック・ベッソン監督が手がけた映画「ザ・レディー」は、スー・チー氏の半生を描き、マレーシアの女優ミシェル・ヨーが主人公を熱く演じている。

 シンガポールでは3月に公開され、座席を確保するのが難しいほど盛況だった。ミャンマーでは、というと、「ゴッドファーザー」ですら上映禁止のお国柄。民主化が進んでいるとはいえ、映画館で「ザ・レディー」を観賞できるほどまでには成熟していない。いきおい、人々は海賊版DVDに走っている。

 映画のあらすじはこうだ。ロンドンで夫、2人の子供と暮らす主婦のスー・チー氏は、1988年に病気の母を看病するため祖国へ舞い戻る。そして、折からの民主化運動の波に押し上げられ、指導的な存在になっていく。政党の立ち上げ、総選挙での全国行脚、自宅軟禁…。その過程で、離ればなれになった家族への愛と、民主化運動への使命感との狭間(はざま)で揺れる葛藤も描かれている。闘士である彼女は、ひとりの女性でもある。

 とはいえ、たった2時間15分の映画に、彼女の人生のすべてを詰め込めるはずもない。ベッソン監督も、思想的な背景や闘士としての源流については、彼女の著作などに譲ったようだ。

「独立の父」を敬愛して

 

 スー・チー氏が、父アウン・サン将軍を最も敬愛してやまないことは、よく知られている。

 彼は英国からの独立を目指し1940年11月、日本から武器の援助と軍事訓練を仰ぐため、「面田紋二」の偽名で東京に降り立つ。やがて軍を創設し、日本軍とともに英国軍を撃破する。だが、独立を与えるという約束を日本が守らないとみるや、今度は英国と手を結び日本を駆逐した。そして、独立(48年1月)を目前に、32歳の若さで暗殺される。「独立の父」として、今も国民の英雄だ。

 暗殺されたのは、長女のスー・チー氏がまだ2歳のとき。彼女は面影も記憶も残らない父親を知りたいと、85年には京都大学の研究員として子連れで日本で暮らし、父親に関する資料をあさった。

 スー・チー氏の演説には、父親が頻繁に登場し、影響の強さを容易にうかがい知ることができる。一例を紹介してみよう。

 「父が民主主義について言ったことを読みたいと思います。『民主主義を人々の信条にしなくてはならない。その信条に基づき自由なビルマ(ミャンマー)をつくらなければならない。もしこれに失敗するなら、国民は必ず苦しむ』。これが私がこの闘いに参加している理由です。父の自由と民主主義の精神を受け継ぐためです」(88年8月26日、ヤンゴン市内)

 ◆非暴力・不服従の思想

 スー・チー氏は、国連職員としてニューヨークで暮らしていた3年間、公民権運動の指導者、キング牧師に傾倒した。15年間に及ぶ自宅軟禁生活では、27年もの間、監獄にあった「南アフリカのマンデラ(元大統領)の生き方に学んだ」と、述懐している。

      だが、スー・チー氏にとり、父親以外に特筆すべき人物をもうひとり挙げるとすれば、インドのマハトマ・ガンジーであろう。

 そもそもスー・チー氏はインドと縁がある。彼女は15歳のとき、母親のキン・チー氏が駐インド大使に就任したのに伴い、ニューデリーで生活する。そこで高校を卒業し、女子大にも籍を置いた。当時、インドの首相だったネールの娘で、後に首相となるインディラ・ガンジーとも交友があった。

 マハトマ・ガンジーの本を読みあさり、「非暴力・不服従」の思想と運動に魅了されたのは、17歳のころだった。時代は1962年、ミャンマーでは父親の部下だったネ・ウィン将軍が、軍事クーデターで全権を掌握していた。

 88年以降のスー・チー氏の思想と行動は、「非暴力・不服従」で貫かれているといってもいい。88年の演説でも「学生たちは肉体的な勇気(暴力)を示してきました。これからは道徳的、精神的能力を示すだろうと信じています」と呼びかけている。それをひとつとっても、「非暴力・不服従」の思想の影響が垣間見える。武器を手に戦った、軍人の父親との大きな違いでもあるだろう。

 長い歳月を経てスー・チー氏は今や、連邦議会議員の身だ。彼女の視線の先には2015年の総選挙がある。今後、ミャンマーの政治情勢がいかに変化しようとも、彼女は父親とガンジーの背中を見ながら歩み続けるに違いない。(あおき のぶゆき)

メコン川の麻薬王を拘束 中国商船襲撃の首謀者

Posted in Uncategorized on May 10, 2012 by luminarymagazine

 タイのメコン川で昨年10月、中国商船2隻が襲撃され、中国人船員13人が殺害された事件で、ラオスの警察当局が事件の首謀者で麻薬王と呼ばれる男を拘束し、中国当局に10日、男の身柄を引き渡した。中国国営新華社が伝えた。

 男はライフル銃やバズーカ砲などで武装した100人以上の犯罪集団のトップ。4月25日に拘束されたが、国籍など詳細は明らかではない。同集団はメコン川流域で長年にわたり麻薬取引や誘拐、略奪、殺人などを繰り返してきたという。

 男はタイ、ミャンマー、ラオスにまたがる麻薬生産地「黄金の三角地帯」で麻薬王として君臨したクン・サ氏のグループに属していたが、1996年にクン・サ氏がミャンマー軍事政権に投降した後、残存した武装勢力をまとめたとされる。(共同)

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